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世界で最も重要なフェラーリを祝う

世界で最も重要なフェラーリを祝う

1949年、Ferrari 166 MMは、世界で最も有名な3つのレースで優勝を果たしました。このモデルのおかげで、フェラーリは有名になりました。

Richard Aucock

166 MM Touring barchettaのおかげで、1949年はフェラーリにとって特別な年になりました。なぜなら、エンツォ・フェラーリが設立したばかりの若き会社がこの年に有名になったからです。1948年9月のトリノ・モーターショーで発表された166 MM(MMは「ミッレミリア」の略)は、その優雅な曲線美と繊細なシルエットで批評家たちをうならせました。

しかし、1949年の白熱するレースのさなかに、このレーシング・スポーツカーが何を成し遂げることになるのか、正確に予測できる者はほとんどいませんでした。ハンプトンコート宮殿で開催された格調高いコンクール・オブ・エレガンス2019において、フェラーリの歴史の中でも重要なこのモデルの70周年が祝われました。 

様々なレーサーが 166 MM のハンドルを握り、1949年の驚嘆すべき勝利へと導きました。フェラーリが世界的名声を博した年です。
様々なレーサーが 166 MM のハンドルを握り、1949年の驚嘆すべき勝利へと導きました。フェラーリが世界的名声を博した年です。

166 MMは、デビュー後すぐに成功を手にすることになります。4月に、モーターレース界が冬眠から目覚めると、伝統的なミッレミリアで2台のFerrari 166 MM barchettaが驚異的なワンツー・フィニッシュを果たしたのです。その後、ル・マン24時間で、ルイジ・キネッティが世界クラスのパフォーマンスを披露してこの伝説的レースを制し、フェラーリにサルテ・サーキットで初の勝利をもたらしました。そのわずか数週間後に、キネッティはまたしてもスパ24時間でトップを走り、優勝を獲得しました。  

エンツォ・フェラーリのまだ新しいスポーツカー会社が、世界クラスのレースで3度の勝利を収めたのです。跳ね馬は、名声を博しました。優勢になったフェラーリをすぐに頂点へと上り詰めらせたのは、1台の素晴らしいモデル、 166 MMでした。それから70年が経ち、毎年恒例のコンクール・オブ・エレガンスで、その史上初の偉業が称賛されました。このコンクールには、オリジナルの車両を所有する現在のオーナーたちが、それぞれの非常に貴重なマシンを持ち込んで参加しました。オーナーたちは、そのような名高きイベントで、自分たちの美しいフェラーリを集結させるまたとない機会を逃すわけにはいきませんでした。

「70年前、耐久レースはF1よりも重視されていました。そんな時代に、166 MMは、3ヶ月の間にミッレミリア、ル・マン24時間、スパ24時間の3つの大きなレースを制覇したのです」 と説明するのは、自動車の歴史に詳しいことで有名なサイモン・テイラーです。彼は、「それはまさに衝撃的な瞬間でした」と続けます。
恐らく最も伝説的なFerrari 166 MMは、1949年にミッレミリアとル・マン24時間の両方で勝利を挙げたカーナンバー22、シャシーナンバー0008Mのマシンでしょう。

現在のオーナーであるアン・ブロッキントン・リーは、自身の所有する有名なフェラーリがコンクール・オブ・エレガンスで注目を浴びているのを目にしました。アンは、彼女と彼女の亡き夫が何年もそのマシンを手に入れようと試みた挙句、1990年代にそれを実現させたときのことをFerrari Magazineに語ってくれました。「私たちは、その車が売りに出されたという電話を受けて、すべてをなげうちました。2人で飛行機に飛び乗ってオレゴンへと向かい、その場で購入をしたのです」  

優雅な曲線美と繊細なシルエットの Ferrari 166 MMは、跳ね馬の歴史にとって天才的なアイコンです。
優雅な曲線美と繊細なシルエットの Ferrari 166 MMは、跳ね馬の歴史にとって天才的なアイコンです。

1949年のスパ24時間で優勝を勝ち取ったのは、シャシーナンバー0010Mの別の166 MMでした。現在のオーナーで、マイクロソフト社の元社長、ジョン・シャーリーは、長年にわたってそのマシンを所有してきました。彼もまた、自分の166 MMで2019年のコンクールに参加しました。彼のマシンは、彼がその仕様を1949年のレース当時のものに戻してからずっと、縦向きで目立つ「22」の番号を誇らしげにまとっています。

彼は、フェラーリの美しいスポーツ・バルケッタを所有する他の誇り高きオーナーたち同様、166 MMを祝って乾杯するためにイベントに参加しました。彼らにとって、166 MMは、世界で最も重要なフェラーリなのです。

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