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ライフスタイル
03/13/2017

1947年:フェラーリからファッションまで

70年前、クリエイティブな才能で世界を変えた人物は、エンツォ・フェラーリだけではない

戦後の文化やデザインの進歩を10年ごとに分類しようと試みても、明確に分類できるものではありません。1960年代に起こったことの多くは、1950年代にルーツを持ち、1950年代に起こったことの多くは、すでに1940年代にその基盤が出来上がっているものです。

 

1947年は、若きエンツォ・フェラーリが自身のビジョンを世界に向けて初めて発表した年。また、芸術、文学、音楽や映画の分野でも大きな転機が訪れた年でした。この革命的な転換がいかに大きかったか。それは現在でも感じることができます。戦争で無残に引き裂かれ、まだそのショックから抜け出せない時期には、これまで以上の発展が必要だったのです。

クリスチャン・ディオールは「ニュー・ルック」を発表しました 写真:ゲッティ・イメージズ 

この年の2月、フランスのデザイナー、クリスチャン・ディオールは、初のオートクチュール・コレクションを発表しました。ディオールは、戦後の緊縮的な空気漂う中で、顧客が切望していたグラマラスなデザインを取り入れようとしました。ディオールは戦時中の数年間にわたる衣類規制が解かれた後、「ニュー・ルック」を発表し、華やかで女性的な、フルスカートのシルエットを復活させました。ニュー・ルックというのは、スタイルに限った話だけではありません。このニュー・ルックこそ、世界のファッションの中心地としての地位を取り戻そうと生まれ変わったパリのスローガンだったのです。

 マイルス・デイヴィス(右)とチャーリー・パーカー(左) 写真:ゲッティ・イメージズ

海を越えたニューヨークでは、新しいサウンドトラックがニューエイジに向けて発信されていました。マイルス・デイヴィスは当時、若く威厳に満ちた21才のトランペット奏者。バンドリーダーとしての最初の録音では、サクソフォンでチャーリー・パーカーをフィーチャーし、幸先の良いデビューを飾りました。オール・スターズ・クインテットで、サヴォイ・レーベルから4曲をリリース。その後数か月のうちにデイヴィスは、50年代にブレイクするセッション、クールの誕生 を発表。音楽界のニューボイスとして一躍脚光を浴びるに至りました。
 
ジャクソン・ポロックは、ジャズ・レコードを聴きながら絵を描いていた、と言うのは有名な話です。音楽は戦前のビックバンドに傾倒していましたが、キャンパスに向かう時だけは前衛的、近代主義者に変貌しました。フル・ファザム5は、ジャクソン・ポロック最初のドロップ・ペインティングとして、最も世に知られる絵画のひとつです。その抽象表現主義者の代表とも言えるダイナミックな作品は、絶妙な密度の中に、野心と威厳が息づいています。

 アトリエで製作中のジャクソン・ポロック 写真:ゲッティ・イメージズ

1947年12月、テネシー・ウィリアムズの欲望という名の電車 の初公演では、23歳のマーロン・ブランドがスタンリー・コワルスキー役を演じ、陰湿な - 明らかに労働階級の - セクシャリティを神聖な舞台に持ち込みました。この時、ニューヨークのブロードウェイにあるエセル・バリモア・シアターの観衆は、その演技に大きなショックを受けました。しかし、1951年にオスカーを受賞した映画版の監督も務めたエリア・カザンが演出したその舞台での、ブランドの粗野な振る舞い、ぼそぼそとした喋り方は、その後の演技法に変化と可能性をもたらしました。

 映画「欲望という名の電車」でコワルスキー役を演じるマーロン・ブランド 写真:ゲッティ・イメージズ

ジャック・ケルアックは、日の目を見るまで10年という長い年月を費やすことになる小説の構想に1年の大半を費やしました。国内のジャズ・クラブを訪ね歩き、急進しつつあったカウンターカルチャーのムーブメントの中核を担う人物との出会いを重ね、自らの心の中に渦巻く情熱を言葉に変えるために必要な素材のすべを手にしました。1950年に彼の最初の小説、The Town And The City が出版されましたが、変化と変革の魅惑の年、1947年に路上 の下地作りはすでに進められていたのです。



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