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車輌
08/07/2017

Ferrari 250 GTO 誕生55周年

フェラーリは、もうひとつの祝祭の準備も整えた

250 GTOが、誕生から55周年を迎えた今、時代を超越するこのモデルの歴史と魅力をもう一度ここで振り返えってみましょう。

 

何故このフェラーリは今もなお、他を寄せ付けないほど高い人気を博し続けているのでしょうか? その理由のひとつは、GTO が伝説的な 250 GTの血統を引き継ぐ最後のモデルであるということです。

 

同時にこのモデルは、F1世界選手権と肩を並べる人気と財力を誇った世界スポーツカー選手権(1962年からは国際マニュファクチャラーズ選手権)において、高い信頼性を獲得し、大成功を収めたフェラーリとなったからです。

ジョアッキーノ・コロンボが手がけたエンジンは、現在のレース用エンジンの礎となっています。バンク角60度の V 型12気筒、DOHC、2,953 cc の名機は、最大出力300 cvを誇りました。6基のウェバー製ツインチョーク・キャブレターをエンジンの中央に搭載し、その上には12本のマグネシウム合金製インレット・マニホールドが綺麗に並びます。シリンダーブロックは、鋳鉄ウェットライナーとともにシルミニウムと呼ばれる一種のアルミニウム鋳造製で、潤滑方式はドライサンプが採用されました。コネクティングロッドと同じく、クランクシャフトは鋼材の一体削り出し加工で仕上げられています。また、5速フルシンクロメッシュ・ギアボックスも新たに追加されました。

 

シャシーはオーソドックスな鋼管フレームですが、ピックアップポイントをはじめ、ギアボックス、ラジエター、燃料およびオイルタンクなどの搭載位置は可能な限り低くされ、重心の改善を図っています。

 

ほとんどの GTO は、フロント上面に冷却用インテークを3つ備えていましたが、中には2つのモデルも存在しています。また、シャシー剛性は、ストラット・バーとシルメンバーによって強化され、ロールフープも装備されていました。

 

駆動方式は、工学的にスタンダードな後輪駆動ですが、全車輪にディスクブレーキが奢られ、アルミニウム製のシールドによってフロアを保護しています。合金リムとスチールスポークによるボラーニ製ワイヤーホイールにはダンロップ・タイヤが装着されました。また、GTO のステアリング機構はボール・ナット式でした。

GTO誕生前夜、ジャガー Eタイプ(エンツォ・フェラーリが高く評価した車輌)をはじめ、急進するライバル勢の進化のペースと歩調を合わせるために必要な要素は、メカニカル面ではなく優れた車体でした。

 

当時は、エアロダイナミクスの黎明期でした。そこで GTO の車体は、フロントのリフトを抑え、リアのダウンフォースを改善するよう設計されました。この2つのプロトタイプは、最初のプロダクション・モデルに最も近いもので、一台は 1961年にモンツァで、スターリング・モスがステアリングを握り、テストしました。

 

このプロジェクトは、ジョット・ビッザリーニ(悪名高い「宮殿革命」で彼が離脱する直前)指揮の下で進められていたため、エンツォ・フェラーリは、セルジオ・スカリエッティにその後を引き継ぐよう依頼しました。

 

250 GTO は、1962年2月24日に行われたフェラーリの年次プレスデーでメディアにお披露目されました。開発は若きマウロ・フォルギエーリが担当しました。そしてジャンカルロ・バゲッティがモンツァで広範囲にわたるテストを実施したところ、素晴らしく速いことが判明しました。

バリエーションとしては、リアウイング、ラジエターのサイズ、ダクトの数、さらには多種多様な実験的変更が含まれていました。しかも、多くの車輌がレースのアクシデントで破損したため、実際にどのような変更が施されたのか正確に知ることはほとんど不可能というのが実情です。

 

3台のプロトタイプには、4.0リットル12気筒エンジンが搭載されました。プロダクション・モデルのGTO でもシリーズ 2(1964年製)は、製造台数わずか3台で、すべてボディのディテールは異なっていました。また、製造された36台のうち、最初の 4台には、その後更新されたボディと機能を強化したメカニカルパーツを組み込むモディファイが施されました。

 

フル・ワークス体制での参戦は滅多にありませんでしたが、GTOは、エンツオ・フェラーリのトップ・プライベーターとドライバーだけに供給されてていました。

 

プロトタイプのシャシーナンバー 2643:Super America (I)mulotipo(I) は、実際に 1961年のル・マンに出場したほか、1962年のデイトナではスターリング・モスが4位でゴールしました。また、グッドウッドとシルバーストンでも優勝を飾っています。

 

最も有名な GTO のひとつは、スターリング・モスの父親、アルフレッドと、彼のマネージャーだったケン・グレゴリーが運営していた UDTレイストール・チームがキャンペーンで使用した薄グリーンの右ハンドル仕様でしょう。

この 250 GTO は、ツール・ド・フランスでの勝利、タルガ・フローリオでのクラス優勝、さらにはル・マン優勝(1962年、GTO は 総合 2位と3位でゴールしました)という輝かしい戦績を収め、合計 500戦以上のレースに出場しました。気高い美しさとともに、まさにフェラーリの最も成功を収めたレーシングカーのひとつとなりました。

 

おそらく、すべての250 GTOオーナーの中で最も著名な人と言えば、ピンク・フロイドのニック・メイスンでしょう。ですから、最後に彼の言葉を捧げましょう。「このモデルが、注目を浴びる最大の理由? それは最高にエレガントなルックス。そして、そのエレガントな外観からは想像できないほどアグレッシブな走行性能ですね。250 GTOは、究極のオールラウンダーなのです」



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